あなたの心を軽くする「ことばのはね」

あなたの心を軽くする「ことばのはね」のブログです。

日記の効能☆

2月のテーマは「学ぶに如(し)かず」です☆

(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン

私のように続けて1年くらいで…

何を偉そうに!

…ということなんですが(笑)

(*´∀`)アハハン♪

私はおととしの11月から日記をつけています♪

( =゚ω゚)ノ( =゚ω゚)ノ

それは…

ワタミ渡邉美樹さんの「強く、生きる。」という本を読んだからです♪

その中にはこんな話がありました…

【金色の一円玉】

強く生きたい――そう思い始めたのは、

いつの日からでしょうか。

そんなことを考えるとき、

いつも私の胸によみがえってくる悲しい記憶があります。

私は十歳のとき、最愛の母を病気で亡くしました。

まだ三十六歳という若さでした。

幼い子どもを残して、

三十代半ばで生を閉じなくてはならない母の無念はどれほどだったでしょう。

私も、自分が死んでもこれほどつらくはないだろうと思えるような、

体がちぎれんばかりの悲痛を味わいました。

その体験、その記憶はどこか決定的なもので、

以来、私は人は必ず死ぬ。

人間の時間は有限であり、

しかも、その生命の終焉は自分が考えるよりも

はるかに間近にあるものだという死生観を、

否定しようとしても否定しきれない強い実感として、

心の底に植えつけられてしまったのです。

だから、

私はムダな時間は一分たりとも使いたくないと考えています。

自分の意識が届かない時間を過ごすことを自分に禁じてもいる。

ですから、

ボーッとするときでも、

意識的に

「いまから一分間は何も考えずぼんやり過ごそう」

と考えるほどです。

できることなら、

人が十年でやることを一年でやり、

人の十倍人生を「濃く」したいと思ってもいます。

そんな私にとって、

人生は

「一円玉の詰まったガラス容器」

としてイメージされます。

そのガラス容器は大きな砂時計の形をしています。

中にはぎっしり一円玉が詰まっていて、

私たちが一日生きるごとに一枚ずつ下へ落ちていきます。

一円玉の数は人生の全日数分、

すなわち、ほぼ三万枚です。

しかし、

そのなかに一枚だけ金色の一円玉が混じっていて、

その金色の一円玉が落ちた途端、

残りすべての一円玉も一気に落ちてしまう。

つまり、それが死です。

金色の一円玉がいつ下へ落ちるかは、

神のみぞ知るで、わかりません。

それが最後まで残る保証もどこにもない。

むしろ、途中で落ちてしまう

(寿命をまっとうすることなく死んでいく)

ケースのほうがずっと多い。

それは三十年先のことかもしれないが、

明日のことかもしれない----。

私には、人間の生がそれほどはかなく、

死はそれほど確固としたものに感じられるのです。

その事実を悲観的にとらえれば、

人生のすべては死に至る過程であり、

今日を生きることは

死に一歩近づくことでしかないということになるでしょう。

しかし、誰の命も有限であり、

明日を確約された人間など誰一人としていない、

誰にも必ず

----予想したよりも早く----

明日が来ない日が訪れる。

この非情な事実を前提として、

だからこそ、

その砂漠の水の一滴一滴のように尊い一日一日を完全燃焼、

完全納得しながら生きていかなくてはならないと思うのです。

ムダや隙間を排して、隙間や余白を残さず、

みっしりと中身の詰まった密度の高い一日を生き切る、

一日一生の生き方を心がけること。

それは、

この世に生を与えられた生き物の義務であるとさえ、

私には思えます。

渡邉美樹著「強く、生きる。」サンマーク出版より

私はこの渡邉美樹さんの死生観にとても共感します♪

私も小学生の頃からの親友が大学時代にバイク事故で亡くなる

という経験があります。。。

「死」は誰の側にもあり

それは突然やってくる

という思いがあります。。。

だからこそ

1日1日を「完全燃焼したい」

というメッセージは私の心に突き刺さりました!!

( =゚ω゚)ノ( =゚ω゚)ノ

それから私は「日記」を書くようになりました☆

これも渡邉美樹さんにならい

「日記を書く」=「1円玉を落とす作業」

となっております♪

(^ー^* )フフ♪