あなたの心を軽くする「ことばのはね」

あなたの心を軽くする「ことばのはね」のブログです。

高野山の思想

昨日、慶應MCCさん主催の「夕学五十講」に参加してきました。

昨日のテーマは

高野山 高祖院住職 飛鷹 全法(ひだか ぜんぽう)さんによる

高野山という思想」でした。

2018年度後期スタート 第1回 10/3(水)飛鷹全法さん | 慶應MCC 夕学リフレクション

 

とてもわかりやすくお話しいただきましたので

とてもよく理解できたのですが

結論としてわかったことは

高野山空海さんの思想)というものは

最近の流れでもある

ダイバーシティ

インクルージョン

である、ということでした。

 

高野山にはそもそも神も仏もいらっしゃる

神道と仏教の融合した「神仏習合」であり、

奥之院には戦っていたはずの

織田信長の墓も明智光秀の墓もある。

 

www.koyasan.or.jp

 

昨日のご講演を受けて、

改めて高野山空海さん)について学んでみようと思いました。

(数年前に一度だけ訪れたこともあるので懐かしい思いもありました)

非常に良いご講演でした。

 

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糸と意図

運命が決まっている

だからあがいても同じ

…とは思っていませんが

なにか見えない糸のような

(赤い糸?)

そんな「運命的なもの」はあると思います。

人と人の出会いは偶然のようで

偶然ではなく

出会うべくして出会っている

かのような。

 

反面、

自らの意思を持って

「求めよ、さすれば開かれん」

のような

意図もあるからこそ

運命を打ち破るというか、

奇跡も起きるのだと

そう思っています。

 

その両輪

糸と意図を理解していることが

なかなか思い通りにはならない世の中で

自らの思いを実現するヒントなのかなと

そう思います。


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死生観

生きているいま、

死について正確に語ることはできない。

でも

人間は誰もがいつかは死ぬことは決まっている。

その死の期限は誰にもわからない。

余命宣告をされると

その近辺で最後の瞬間を迎える可能性は高いが

かといってそれが正確なものではない。

まぁ

自分の人生なので

その死までの残り時間を

自分のために使っても良いし、

身の回りの人のために使っても良いし、

まったく他人のために使っても良いと思う。

しかし、

自分の生が終わっても

まだ周りではこれからも生きていく人がいるのであれば、

その残る人々のために

何が残せるだろうか?

と生きる

そんな生を全うしたいと思う。

死が目前に迫ると

そんなことは言えないのかもしれない

でも

そんなときでも

この考えと比較はしたい

その少しの余裕だけは持っていたいと

そう思う。


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タライ水2


タライ水 - あなたの心を軽くする「ことばのはね」

以前に書いたタライ水の続きです。

前回の文脈は

良いこと

自分がしてほしいことを

相手の方へ送ると

(相手にすると)

巡り巡って自分の方へ返ってきますよ

それは丸いタライの水は自分の向こうに流してあげると

縁を通って自分の方に流れてきますよ、

という文脈でした。

しかしながらふと…

悪いことも同じだなぁ

と思いました。

不平や不満を相手に向かってぶつけると

それもタライ水同様

巡り巡って自分の方へ向かって来るのだなぁ

…と。

やはり、

良いこと、

自分のしてほしいことを

相手に向ける

これが基本であることは

間違いないようですね。


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本はかけ算で読む

私は読書が好きです。

専ら小説や古典(中国)、ビジネス書が中心で、

古典をベースにした考え方の著者が書かれたビジネス書が一番読む量が多いと思います。

 

読書をあまりしないよ

という方にはあまり理解されないかもしれませんが、

読書をする際には

「かけ算」しながら読むと

内容が深く味わえると思います。

どういうことかというと

書いてある内容で

「これはこないだ読んだ本にも書いてあったな」

ドラッカーさんもこんなこと言ってたな」

「ちょうど同じ目に最近あったなぁ…」

などなど

他の本や聞いたこと、

自分の体験、経験にリンクさせて読む

ということです。

 

そうすると

他人が書いたはずの本(の内容)が

自分事になります。

まぁ錯覚でもいいので(笑)

そう思えることが良いのかなと思います。

 

そしてその中身とまた同じようなことを

実際に体験して

また他の本で読んで

…を繰り返すことで

今度は錯覚ではなく

本物になれ

もしかしたら

自分も作家になっている(書く側)、

なんてこともあるのかも

…と、そう思います。


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不平不満

「不平不満」

これらは

「思い通り」にいかないこと

によって生まれるようです。

 

「不平不満」を発する側からしたら

それは相手が悪いんです。

 

フツーだったら

○○してくれるよね

 

上司であれば

こうあるべき

 

彼氏なのに

○○してくれない

 

などなど

 

でも

ふと考えてほしいのが

 

では

自分は他人の思い通りになっているのだろうか?

ということ。

決してそんなことないと思うんですよね。

であれば

人は他人の思い通りにならないもの。

(たまになることもあるかもだけど…)

 

「思い通り」という基準を設けるから

それに満たないと

「不平不満」を生むわけで

実は相手が原因ではないのかもしれない。

 

「思い通り」にならない他人が

あ!

「思い通り」のことをしてくれたんだ!

ラッキー!!

くらいに思ってちょうど良いのかもしれませんね。

 

「不平不満」は「思い通り」が生み出すもの。

十分気をつけたいものですね。


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#不平不満 #思い通り

 

2年ぶりの再開

ブログを書き始めたのは

おそらくかれこれ10年前…

書き始めの頃は

毎日必ず書いていました。

日に3本書くなんてこともありまして

そこからコンスタントに書いていたものの

4年前くらいから書く機会も減り

なんとここ2年は一切書いておりませんでした。

 

最近人前で話さなくてはならない機会が久しぶりに訪れそうなので

話す内容を調べてみれば

なんと検索されたのは私のブログ(笑)

 

自画自賛ということではないのですが

「あ!良いこと書いてるな~この人」

と思ったので(笑)

改めてブログを再開しようと思います。

 

まさに徒然なるままに書きたいと思いますが

誰かのことばに思いがリンクしたり

また逆にいまの思いが

そういえば誰かのことばにあったなぁ…

とリンクしたり

そういう

「ことばと思いの交錯」

をテーマに書いていきます。

その中で

何かしら読者の皆さまのヒントになれば幸いです。

 

これからもよろしくお願いいたします。


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#再開 #ことばのはね #思いの交錯